松江地方裁判所 昭和30年(行)1号 判決 1959年11月29日
原告 伊藤恕介
被告 島根県知事
主文
被告が昭和二九年一二月一七日になした島根県邇摩郡温泉津町ロノ七〇番地内藤淳作に対する温泉動力装置許可処分が無効であることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決及び主文第一項の請求が認容されない場合の予備的請求として、「主文第一項記載の許可処分を取り消す。」又右請求が認容されない場合の予備的請求として「被告は主文第一項記載の許可処分の取消処分をせよ。」との判決を求め、その請求の原因として、
一、原告は、二〇代前の祖先より肩書地において温泉を掘さくし、一般温泉客をして入浴せしめている者であり、温泉法第二九条所定の許可申請は同法施行当時になし、温泉利用許可及び四個の浴槽に対する公衆浴場としての許可は、昭和二一年二月二一日に受けている。
二、この原告所有の温泉源は摂氏五〇度にして、湧出量は、昭和二五年一二月二七日の県衛生部大田保健所の調査では、午後三時毎分四七立、午後九時毎分四八立であり、昭和二九年一二月二六日には、毎分四六・八立であつた。
三、被告は、島根県邇摩郡温泉津町ロノ七〇番地内藤淳作に対して温泉の堀さくを許可したが、昭和二九年一二月一七日、同人に対して、湧出量を増加させるために、二馬力の動力装置を設けることを許可した。
四、しかし、被告の右動力装置許可処分については、温泉法第二〇条により、島根県温泉審議会の意見を聞かなければならないのに、被告は右審議会を開催せず、一部の審議会委員に議案を持廻し、審議会を開催して意見を聞いたように装つてなされたものであるから無効のものである。
五、仮に前記理由によつて、被告の前記許可処分が無効でないとしても、この許可処分によつて、訴外内藤淳作が、その所有温泉に動力装置を施したため、原告所有温泉の湧出量は激減し、その成分、温度の変化は著るしい。
六、即ち、原告は、従来使用していた大浴槽二個(男子用約一九石入、女子用約一八石入)、小浴槽二個(男女各七石入)のうち、大浴槽を縮少しなければ使用できなくなつたので、昭和三〇年一月一九日、男子用大浴槽を約一〇石入に改造したが、同月二二日夜には湧出量が毎分二九・七立となつたので、同日以降は、男女小浴槽のみを使用し、同年六月一五日以降は大浴槽を改造した男女各一〇石入の浴槽二個のみを使用しているが、浴槽温度も従来四五度ないし四六度のものが四〇度ないし四一度に低下し、温泉入浴の目的を達することが困難となり、その損害は著るしく、療養温泉の本質が破壊され、公益を害すること甚だしいので、当然無効のものである。
七、仮に被告の本件許可処分が無効のものでないとしても、前記の各事由のいずれかによつて取り消されるべきものである。
八、又、以上の請求が認容されないとしても、原告は、被告に対して、温泉法第八条第二項、第六条による本件許可処分の取消処分を求める。
と述べ、被告の本案前抗弁に対しては、
一、本件許可処分は訴願法にいう水利に関する件ではないから本訴提起に先立ち訴願を経由するを要しない。
二、仮にそうでないとするも、湧出量激減のため訴願の裁決を経ることにより著るしい損害を生ずるおそれがある。
三、以上が認められないとするも、被告の抗弁は時機に後れたものであるから却下さるべきものである。
と述べ、更に被告の主張に対して、
一、本件許可処分による動力装置が、原告所有温泉に影響を与えていることは、動力を停止することによつて原告所有温泉の湧出量が増加することから明らかである。
二、原告所有温泉は、古来より神経痛、胃腸病に特効ある温泉であり、現在では、原爆症にも効果のあることが判明している。そして、都会を控えていない温泉津町としては、観光温泉よりもむしろ療養温泉に重点を置いてこそ、町の発展に有利である。
三、本件許可処分によつて温泉津町営温泉に供給されることは、直ちに公益の増進とはならない。町営温泉も法上は個人営業の温泉と何ら変りはない。
四、そして、町営温泉によつて利益を得る者は二、三の旅館業者のみであつて、かえつて療養客は減少している。
五、原告所有温泉に動力装置を設けることは、その成分に著るしい変化を与え、療養効果が減少し、更に果てしない動力と動力との競争を生み、温泉津温泉の枯渇を招くものである。
と述べた。
(立証省略)
被告訴訟代理人は、原告の請求中、許可の無効確認を求める部分を棄却する、許可の取消を求める部分を却下する、仮に然らずとしても右部分を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告主張の請求の原因に対して、
第一項は、原告が肩書地において温泉を堀さくし、一般温泉客をして入浴せしめている者であり、温泉法第二九条所定の許可申請は同法施行当時になしたことは認めるが、その他は知らない。第二項は否認する。第三項は認める。第四項は否認する。本件許可処分に当つて、温泉審議会の意見は、持廻り決議の方法によつて、過半数の委員の同意を得ており、且つ、昭和三〇年一月二九日開催の次回温泉審議会において、更に現実に提案し、出席委員全員より許可相当の意見の表明を受けており、この点についてかしはない。仮に、この温泉審議会の意見を聞く手続にかしがあるとしても、本件許可処分については何らの影響もない。第五項は否認する。第六項は浴槽を改造したことは認めるがその他は否認する。原告所有温泉は元来冬期には浴槽を二個使用していたのである。第七第八項は否認する。
と述べ、原告の本訴請求中、本件許可処分の取消を求めるものについては、本案前の抗弁として、本件許可処分は、水利に関する件として、訴願事項であるところ、本件許可処分取消の訴は、行政事件訴訟特例法第二条所定の要件を欠くので、却下さるべきものである。
と述べ、本案に関する主張として、
一、温泉に対して動力装置を設けることを許可する知事の処分は、既設温泉に若干でも影響を与える場合に、常に違法とされるものではない。
二、右許可処分は、その高度の公益的性質に鑑みて決定せらるべく、動力装置の新設によつて既存温泉に影響を与える場合でも、その影響が僅少なる場合、動力装置の新設によつて実現せらるべき公益が、著るしく大きな場合はもちろん、相当の影響があつても、既存温泉に工作を加えることによつて、この影響を除去し得、且つ、このため既存温泉所有者に経済的負担がかゝらないような場合には、公益性の程度によつては、許可を与えるべき場合が存するものと解すべきである。
三、更に、一般的不許可事由のある場合にも、知事は、政策的見地から動力装置の許可処分を与えることができる。
四、そこで、以下、本件動力装置許可処分によつて、原告所有温泉が受けた影響と、この許可処分によつて得られた公益の増進とについて述べる。
五、原告所有温泉の本件許可処分前の湧出量は、毎分四〇立とみられるところ、昭和三三年中一年間の朝夕の平均湧出量は毎分三四立であり、本件許可処分が与えた影響は、大体、毎分六立とみることができる。そして、右影響も現在、更に回復に向う傾向にある。そして、原告所有温泉の湧出量の減少が、殆んど原告に損害を与えていないことは、原告所有温泉の入浴者の数が本件許可処分前と現在と殆んど相違がないことから明らかである。
六、なお、原告と訴外内藤淳作間に和解の試みがなされた結果、昭和三一年七月以降、同訴外人所有温泉(震湯温泉)に貯水槽を設け、動力装置を直接泉源にかけることなく、水位が一定位置より下らないようにされているが、昭和三四年六月までの間に同訴外人所有温泉源の水位が右一定位置に達し、動力装置の使用に制限を加えたのは合計七九日に過ぎず、特に、昭和三三年以降は、一年に一〇日以内に過ぎないのであつて、本件動力装置許可処分は、原告所有温泉に対して、殆んど影響を与えていない。
七、右のように、本件許可処分は、原告所有温泉には若干の影響を与えたが、原告所有温泉と訴外内藤淳作所有温泉の湧出量の合計は、本件許可処分前には毎分約八〇立(原告湯四〇立、訴外湯四〇立)であつたものが本件許可処分によつて毎分約一四〇立(原告湯三五立、訴外湯一〇五立)に増加している。
八、そして、右のように増加した湯は、温泉津町の発展のための町営藤の湯(昭和三〇年二月五日開設)に供給され、温泉入湯者の増加に伴う入湯税の収入増、旅館宿泊者の一、二割増、船舶停泊数の五割増、町民所得の二割増などの利益が現われ、町の発展は著るしい。
九、前述した原告所有温泉の湧出量の若干の減少も、動力装置を設けることによつて簡単に回復され、原告の受ける影響はなくなる。原告は、動力装置を設けることによつて療養効果が減少すると主張するが、温泉津温泉は、療養温泉としては価値少いものであり、又動力装置によつて、成分がよくなることはあつても、悪くなることはない。
一〇、以上の理由により、本件許可処分は、知事の自由裁量権内において行われたものであることは明らかであり、無効、又は取り消さるべきものではない。
一一、なお温泉法第八条第二項、第六条の知事の取消処分は、知事の自由裁量によつてなすものであり、原告は、これをなすことを請求する権利を有しない。
と述べた。
(立証省略)
理由
原告が肩書地において、温泉を堀さくし、一般温泉客をして入浴させている者であり、湯泉法第二九条所定の許可申請を同法施行当時にしたこと、被告が、島根県邇摩郡温泉津町ロノ七〇番地内藤淳作に対して、温泉の堀さくを許可したが、昭和二九年一二月一七日、同人に対して、湧出量を増加させるために、二馬力の動力装置を設けることを許可したことは当事者間に争いがない。
被告のなした右許可処分について、温泉審議会の意見聴取の有無及びこれの右許可処分に対する影響について争いがあるので、この点について判断する。
温泉法が、温泉の湧出量増加のための動力装置の設定を、都道府県知事の許可にかゝらしめているのは、温泉源を保護し、その利用の適正化を図るという公益的見地から出たものであるから、動力装置に関する許可又は不許可処分は、単なる政策的考慮のもとにのみなされる都道府県知事の自由裁量によるものではなく、更に、当該温泉に対する学問的、技術的考慮をも加えてなされるべきものである。
そして、温泉法は、この学問的、技術的考慮の確保のために、都道府県知事が、動力装置に関する処分をなすに当つて、温泉審議会の意見を聞くことを要するものとしている。(同法第二〇条)
島根県温泉審議会条例によると、同温泉審議会の委員は、学識経験者、温泉に関する事業に従事する者、関係吏員の中から知事が任命又は委嘱することになつており、(第三条)委員の過半数が会長の招集に基いて出席することによつて議事を開くことができ、出席委員の過半数で議事を決することになつている。(第六条)
そこで、知事が温泉に動力装置を設けることを許可するに当り、前記温泉審議会の意見を聞かないことが、その処分にどのような影響を与えるものであるかについて考えるに、温泉の性質構造等に関する知識は一般常識の範囲でなく、かなりの高度の専門知識に属することは、公知の事実であるところ、本件について、前記動力装置の設置が、原告所有の温泉の泉源にいかなる影響を及ぼすかの点についての鑑定証人松浦新之助、同瀬野錦蔵の意見を検討しても、温泉湯出の原理、湧出量増減の原因について、専門知識を有する者の間でも定説がなく、ひいて、本件許可に基く動力装置により原告所有温泉の泉源ないし湧出量に及ぼす影響については、松浦証人は原告所有温泉が枯渇に瀕するばあいがある旨陳述するのに対し、瀬野証人はそのおそれがない旨の意見を陳述し、その見解がするどく対立していることと、さらに一方知事に属する機関が必ずしも充分なる専門知識を有する者によつて構成されていないこととを考慮するときは、知事がなす右動力装置に対する許可処分には、かかる見地から専門的な知識経験を有する諮問機関の意見をきくことが要請されているのであり、もしその意見をきかないで右処分をするにおいては、ばあいにより既設泉源を枯渇させる結果を招来するおそれがあり、前示の温泉法の目的に反することがあるから、右の諮問は、右許可処分に不可欠の要件であり、これを欠くことはそれ自体、許可処分について行政庁が遵守すべき法令違反として重大なかしを有するものと解するのを相当とする。
ところで、本件許可処分について、温泉審議会の意見聴取が持廻り決議の方法によつてなされていることは、当事者間に争いのないところであるが、前記島根県温泉審議会条例は、持廻り決議による議事の審理議決を許す旨の何らの定めをしておらず、むしろ、審議会は委員の過半数が会長の招集に基き出席することにより初めて議事を開くことができる旨条例に明定されていることは前記のとおりであるだけでなく、前記のような温泉問題の複雑さ及びこれの影響を与えている人的物的範囲の広いことから考え、温泉審議会の意見は、充分なる調査討論によつてなされなければならないものと解すべきことは明らかであるから、持廻り決議の方法による意見聴取は、温泉法にいう意見聴取に当らず、結局本件許可処分に際し温泉審議会の意見聴取という手続が欠けているものというべきであり、且つそのかしは明白なるかしに属するものであるといわなければならない。
なお、被告は、右持廻り決議については、本件許可処分後、第一回の温泉審議会が開かれた際追認を受けているので、審議会の意見聴取に関するかしが補正されている旨主張するが、前示のとおり右許可処分をするについては温泉審議会の意見を聴取することが不可欠の要件と解せられる以上、処分後における意見聴取によつて、前示のかしが補正されるものと解し難いのみならず、成立に争いのない乙第一号証の二ないし五(温泉審議会議事録等)によれば、被告主張の右温泉審議会が開かれた際、前示持廻り決議に関する事項は同審議会の議事となつておらず、単に、一委員が、持廻り決議に関して、賛成の旨の感想を述べ、他の委員が特に反対しなかつたことが認められるだけであり、かえつて、本件許可処分後、更に訴外内藤淳作がなした一馬力の動力装置の追加申請に対して、調査のうえ決議をすることとなり、この追加申請に対する決議が留保となつたことからすると本件処分について審議会がこれに賛成ないし同意をした事実も存在しないことを認めることができ、この認定を覆えすに足る証拠はない。
そうすると、結局、被告の本件許可処分は温泉審議会の意見聴取を欠いたという重大且つ明白なかしにより無効のものといわねばならず、その他の争点について判断するまでもなく、原告の本訴第一次的請求は、これを認容すべきものであるから、その他の争点についての判断を省略し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 柚木淳 長谷川茂治 道下徹)